ドキュメンタリー

ひびけ、うたごえ

男声合唱団コール77物語

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ストーリーとエピソード
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ストーリーとエピソード


コール77の沿革については、コール77のメンバーである片倉氏のホームページで

詳細に述べられています。 こちらを参照してください。


記録映画「ひびけ、うたごえ」のストーリーとエピソードを概略のカットごとに振り返ります。
この映画の制作にあたって、コール77のメンバーには写真や資料のご提供など
無限のご協力をいただいて本当に恐縮です。


タイトルバックは、コンサートのリハーサル時、ステージ上足元に置かれた楽曲の譜面。
コンサートで歌われた「海ゆかば」のハミングに合わせて海面の揺らぎで始まります。


戦争を賛美するものではなく、己に打ち勝つ大和魂を賛美するというこの映画の宣言です。


この帽子は十周年記念コンサートの楽屋に掛けられていたメンバーの帽子。
このときほぼ全員が78歳。海兵出身のダンディズムを感じるひとコマです。


同じく冒頭に登場するこの映像は、実際にメンバーがリハーサル時使用していた譜面。
モノクロ処理のためわかりにくいのですが、マーカーでメモしてある多量の書き込みが
彼らの膨大な努力の跡を物語っています。


2001年、コンサート後の打ち上げ会場、神楽坂にある居酒屋「ひまわり」。
よくここでコール77男声合唱団は盛大に打ち上がるそうです。暖かい飲み処。
このときがドキュメンタリーの初撮影日で、まだ画面サイズ比は4:3のスタンダード。
後年まとめる際、ハイビジョンにアップコンバートしたので少々画像が粗いのですが、
それがかえって時代性と海兵の荒々しさになったので良しとした記憶があります。


2001年の「ひまわり」で、はじめてコール77が歌う「海ゆかば」を体験した場面。
その大地を揺るがすようなエネルギーにただ茫然でした。
「いったいこれは何なのだ?」というカルチャーショックを受けた場面でした。
それゆえ映画のトップシーンになったのでした。



物語は彼らの「出会い」へと進んでゆきます。

「昭和20年、太平洋戦争が終局を迎え、まさにアメリカ軍が日本本土に空襲(くうしゅう)を繰り広げていた時代のこと。 広島湾に浮かぶYの字の形をした島、江田島(えたじま)。かつてこの島の中心に、優れた海軍士官を育成するための、旧海軍兵学校があった。

ここから広島県江田島の映像で旧海軍兵学校の物語は進行していきます。



(上)旧海軍兵学校之碑(下)旧生徒館
現在は海上自衛隊第一術科学校としてその伝統を引き継いでいる。

「合唱団「コール77」のメンバーは全員が、この海軍兵学校の出身である。先輩の雄姿にあこがれ、難関を突破し、入学を迎えたのが昭和20年4月10日のことである。 」

実際のロケで江田島へ赴き、あちこちの施設を特別に撮影させてもらいました。コール77のメンバーで海兵出身者の父(近藤基樹<イ107>)同行でしたが、現在の海上自衛隊は元海軍ゆえ、先輩への敬意・配慮は最大限の取り計らいで極めてスムーズに完了。先輩たちへの流儀、流石です。感動でした。


現在もこの「同期の桜」は、自衛隊敷地内にある

「メンバーは、8月に訪れる終戦までの間、この江田島周辺で苦楽を共にする。いわゆる、「同期の桜」である。 「コール77」という合唱団の名前は、ひとりを除き、全員が兵学校の77期ということに由来するのである。


海軍兵学校志願者が皆あこがれた短剣。荘厳な創り。

少年たちが短剣にあこがれるというリアルな証言が、昭和の初期を物語ります。
武士道に一番近い現代だったのではないでしょうか。



海兵出身者の心に刻まれている「五省」。今の時代にも通用する究極の心得。
己に問いかける心得として、後に続く日本男児はぜひ参考にするべし。


広島ドーム。これは別の機会に広島へ行くチャンスがあり、その時に撮影した映像です。
その上へ古いラジオの映像を合成してあります。

「終戦。それは忍び寄るように訪れ、ついに失望と共に幕が降ろされた。 それはそれは、兵学校生徒にとって、価値観の革命ともいえる大事件であった。 期待を胸に膨らませ、あこがれて入学した海軍兵学校は閉校になった。あまりにも短い4ヶ月。 しかしながら、生きるべく方向性をまったく変えるほどの密度の濃い、奇跡とも言える4ヶ月であった。

数か月だけの共同生活が発端で、その後60年も人生を共にできる合唱団こそ、まさに奇跡。


大原分校の碑。

「江田島の一角に、閉校になった大原分校の碑が建っている。その碑にはこう書かれている。
「海軍兵学校大原分校は昭和十九年十月一日開校され昭和二十年十二月一日閉校された。 その歴史は短く、果敢(はか)ないものであった。しかし、この地で自啓自発(じけいじはつ)を学び 相互信頼の尊さを知り 若き魂を鍛えた生徒は七十四 七十五 七十六 七十七期の合計 四千二百有余名に及ぶ。 大原分校はここで学んだすべての生徒にとってここに帰りここから出発しようとする心の故郷(ふるさと)である。」


ここに刻まれていた「心の故郷(ふるさと)」という文字が映画の骨格に発展しました。
ラストシーンの十周年記念コンサートでも「ふるさと」が歌われています。合唱団の発足と、その結束の想いは、まさにこの「心の故郷」が起源なのだと教えられた場所です。


桟橋が正門=玄関というのは海軍ならでは。

「戦いが終わり、若き魂は不抜の意気と高き理想を胸に秘め家業にまた勉学に勤め、社会の各分野で活躍することになった。 終戦とともに、生徒はそれぞれの故郷へと、旅立っていった。 この桟橋から数名でカッターに乗り、こぎ出でて、故郷へ渡っていった生徒もいたそうである。」

撮影時はただ静かに波打っていたのですが、現場に立つと、
彼らにとって、語りつくせぬ想いが宿る聖地であるとひしひしと感じます。


合唱団結成初期の写真

「その後、兵学校生徒たちは、終戦後の復興の中で、日本の活力の中枢として第ニの人生を歩み、 昭和の日本再建の、陰なる支え・精神力となっていった。 やがて、昭和を築いた元兵学校生徒たちは、第二の人生に終止符を打ち、再び集うこととなる。 みな、訓練で、そして古鷹山(ふるたかやま)で大声で歌ったあの経験が、合唱団につながっていく。 」

繰り返しになりますが、コール77のメンバーには写真のご提供など
無限のご協力をいただいて本当に恐縮です。
ご本人たちの写真は実にリアルにその歴史を物語り出しました。



神楽坂・片岡ビルにあるリハーサル部屋での練習風景。

とはいえ、ほとんどのメンバーが正式な音楽教育を学んだわけではなかった。 譜面を読める者はほとんどいない状況から合唱団は始まった。 彼らにとっては、まさに兵学校と同じ、苦難の道であった。

リハーサルには何度か同行させていただき、撮影したのですが、
素材は約60分テープにして何十本にもなってしまいました。
しかし、彼らはその数十倍は練習しているわけですから。。


毎年千葉で行われる強化合宿のひとコマ。
朝から晩まで、気の遠くなるような練習量。


練習後の食事でも声高らかに歌う、歌う!その勢いは兵学校そのもの。
映画には無いのですが、この後さらにグループごとの「歌の特訓」が待っているのです。



「ひびけ、うたごえ」が撮影された結成十周年記念コンサート。
あたりまえのように、設置から進行、接客まで、すべてメンバーで行われます。
年齢から想像がつかないくらい、みなさん実に自主的にキビキビ動き、
これを見ると「流石、ネイビー!」と感嘆なのです。


コール77のメンバーで、ひとりだけ67期の大先輩、熱海光雄先輩。終戦時海軍大尉。
映画のラストシーンの十周年記念コンサートで「ふるさと」を歌われます。
その立ち姿は「誇り」の手本ともいえるぐらい圧巻です。
そのときの後ろのメンバーのさりげないフォローが、
彼らの生き様すべてを物語るひとコマでもあります。
この曲は指揮者・澤登さんの誘導で、会場中が共鳴して大合唱になりますが、
今でも思うのは、本当にあの現場にいられたことは、つくづく幸せでした。


十周年記念コンサートから五年後の15周年記念演奏会。

この映画のラストシーン、十五周年記念演奏会は、実はあまりに映画の制作に時間がかかったため、当初予定にはなく、追加になった場面です。十五周年記念演奏会は、団歌「ひびけ、うたごえ」が発表された演奏会でした。偶然にも同時期に映画の完成が重なったため、この映画のメインタイトルとコール77の団歌名が同じなったのでした。このオリジナル曲の歌詞は、メンバーの小林 伸夫さん(オ210)によるもので、彼らの熱き想いが込められたすばらしい歌詞で、見事に映画の最後を熱き想いで締めくくってくれます。


エンドロール(写真は指揮者、澤登さんのもの)

映画の締めくくりは、コール77のメンバーの兵学校入学当時の写真と、十周年記念コンサート当時の写真をそれぞれ並べてエンドロールでご紹介しています。入学当時に撮影された熱いまなざしの少年たちは、幾たびの困難を乗り越えて、60幾年後のおじいちゃんとなり、その2つの時代が並んで写っているわけですが、驚くほどに、その前進しようとするまなざしに変わりがないことに驚きます。この心の姿勢を是非、見習うべきと思う次第です。また、歴代のコール77合唱団を盛り上げていただいた方はエンドロールに登場される方以外にも奥様をはじめ、多数の方がいらっしゃるとお聞きしていますが、当映画にはこの「ひびけ、うたごえ」の映像に登場していただいた方を中心に限定させていただきました。この場をお借りして表記していない旨をお詫び申し上げます。 また、無限のご協力をいただいた、メンバーの皆さまにこの場を借りて厚く御礼申し上げます。